金山 昌秀 師 メッセージ  2015年初旬 徳島集会   ・・・・・  主の御声を聞くことについて




  * 金山師が 日本から(実質的に)追放される直前のメッセージです。 評判が悪いにもかかわらず、彼個人の見分けは相変わらず良く、この「主の御声を聞く」メッセージが良かったので、ここに書き起こしました。 ただし、IMM について語られる部分はカットしました。 また、下のほうに、金山師の状況と弁明を付け加えました。
  主に「聞く」ことは、シンプルなメッセージであるにもかかわらず、人間の原罪の性質(良し悪しを自分で決める、高慢、律法的 ・・・ 日本人に多い。 ⇔ cf. ただでもらう発想のフィリピン人やアフリカンは得意)に直接かかわることなので、丁寧に解き明かされ かなり長いメッセージをなっています。(長いので、各段落に表題を付けました。また、ヘブライ語の原語より、「聞き従う(×)」→「聞く(〇)」に変更。)

                 YouTube: Next 10 cities IMM Tokushima meeting




   (金山師の 御声を聞くことのあかし)

  おとといニューヨークから来ました。 時差ぼけ気味です、遠いですね。 私たちは地の果てに至るまで、イエス様の証人となる、とあります。地の果てから地の果てまで、主のあかしができることは最高の喜びであると思います。 どうぞ皆さんが、変革を受け取り、目を覚まして、生ける神を受け取ってください。


  コロサイ1:9-12 より、 「あらゆる霊的な知恵と理解力をもって、神の御心を深く知り、 ・・・ あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることです。 ・・・ 」

  私たちは、口先ではなく、実際的なクリスチャンとして、主のみこころを行う者でなければなりません。 私たちは、イエス・キリストと出会い、イエス・キリストが私たちの人生に入って来られると、私たちにはものすごい変化が来て、特権に預からせていただきます。

  私のあかしを簡単にいたします。 私は ドクター・金山と申します。ニューヨークから来ました。今マンハッタンに住んでいます。
  私のオフィスもマンハッタンで、今から約10年前にこのオフィスが示されて、祈っていました。 私はよく黙想の祈りをします。 黙想の祈りは静まって、主が神であることを知ること、神の道を知ること、それが黙想の祈りです。 そのときオフィスを探していましたが、どこのオフィスを見つけたらよいですか? すると聖霊様が語りかけてこられて、オフィスを買いなさい、と言われました。しかしマンハッタンではオフィスを売りに出すことは珍しいことです。 また祈っていると、今度は住所が教えられ、150-east-55丁目の5階です、と語られました。”555”ですね。 それで実際調べたら、このオフィスはありましたが、売りに出されていませんでした。 それで、「主を待ち望みなさい」とあるように、聖霊様に待ち望んでいたら、少したってから売りに出されました。 それが今のオフィスです。
  さらに祈っていると、ブルー・プリントが天国から与えられて、オフィスの待合室のど真ん中に祈祷室を置きなさい、と言われ、黙想する部屋がこの木の壁の奥にあります。 そこで毎日、主との交わりの時を持って、仕事をする前と後に聖霊様との深い交わりを持ちます。その時に、聖霊様がいろいろと語りかけてこられます。 今日の日程を教えていただいて、また どのような患者さんが来るか、患者さんがどのような問題を持っているか、そしてこのような知恵の言葉を語りなさい、等。 知識の言葉、知恵の言葉、 ・・・ そうすることで、初めて対面する方でも、主があらかじめ、私は預言者でも何でもないですが、聖霊様と語ることなのです。 主はすべてをご存知ですから、私は教えていただいて、語る言葉、希望を与える言葉、癒しの言葉、というインストラクションがやってきます。(これも一つのマーケットプレイスミニストリーのあかしです。) たびたび治療や手術の時に、イエス様が手術室に訪ねて来られ、外科医の横に立って指導してくださいます。

  私が救われたのは17歳で、東京、深川生まれです。下町で育ち、17歳の時に超自然的な方法で、イエス様が現れてこられ、私は救われて、イエス様を救い主として受け入れました。 その時主が私に語りかけ、高校2年だったので、日本の大学に行く予定がほとんど決まっていましたが、これから英語を勉強して医者になりなさい、あなたをアメリカに遣わします、アメリカでクリスチャン・ドクターとなって 医療の分野でわたしが主であることをあかししなさい、わたしの癒しの右手になりなさい、私はあなたを宣教師(ミッショナリー)として医療の分野に遣わします、と語られました。 皆さん、牧師・宣教師、有名な先生だけが主のミニストリーをするわけではありません。 神様は皆さん一人一人を選んで、神様の御栄光をすべての分野で表されます。 医者は医学の分野で、銀行の方は銀行で、市役所に勤めている方は役所で、キリストの栄光が現れます。
  私の友人で、ミネソタにいる銀行の頭取の方がいて、ニューヨークタイムズの大きな一面にも出た有名な方なのですが、熱烈なクリスチャンです。彼はお客さんがお金を借りにローンを作るために来るときに、本当に聖霊様との深い交わりがあって、一人一人お客さんが来ると、霊のアンテナを高く立てていますから、主よ あなたは何をされますか?とたずね、すると聖霊様が細い声で語りかけられます。そのときに、知恵の言葉、知識の言葉が与えられ、その言葉をお客さんに語ると、その時、その場で、伝道してしまいます。 1年間で360人伝道しました。だからもう、銀行が教会になっているのです。銀行の自分のオフィスが教会で、牧師ではないので、人々を地域の教会に配り分けます。 でも、彼が最前線です。 なぜなば、彼は 主と共に歩んでいるからです。 彼は目が覚めています。ただの銀行家ではありません。 聖霊様と歩くと、そういう奇跡があなたの人生に起きてくるのです。 よみがえりのいのち。その秘訣を、今日はお話ししたいと思います。

  もし皆さんが1分、1秒でも神様と手をつないで歩いたら大変なことが起こります。奇跡が起きます。 使徒パウロのようになります。迫害も起きますが。でも力が来ます。
  その後私はアメリカに行き、名誉クリニック、日本ではあまり有名ではない医療センターがあります。産婦人科のプログラムは4人合格できますが、約1000人の申し込みに対して その4人の中に選ばれました。 それで、ものすごい試練が待っていまして、(今日はそのあかしはしませんが、)私は敵に囲まれる人生でした。行く所すべてで。 なぜなら、もし 皆さんが神様から主の証人として選ばれると、目に見えない敵であるサタンがいて、皆さんの実がなる前に摘み取ろうとします。 早めに攻撃して潰そうとします。 だから霊の攻撃、霊の戦いは必ずやってきます。 でも決して引かないでください。 「最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ10:22、24:13)  4年間地獄のような生活をして、でも 私は勝ちました。
  その後で聖霊様に、ニューヨークへ行きなさい、そこで普通の産婦人科医ではなく、子宮内膜症の専門医になりなさい、と語られました。 その時は子宮内膜症がどのようなものか分かりませんでしたが、祈っていくうちに、聖霊様が教えてくださいました。この病気は日本人女性の5人に一人にあって、子宮の内膜が子宮の外に出て 生理の血が子宮外の腹腔にたまる、のろいのような病気です。この病気は治療が難しく、この時はどうしたらよいかわかりませんでした。 唯一私がしたことは、黙想の祈りをして聖霊様に聞きました。 すると主は、手術のやり方などを教えてくださいました。 新しい腹腔鏡(開腹せず、3つの5mmくらいの径で、臍などから入れる)による手術です。 私の所に来る患者さんはものすごい重症の方がほとんどで(第4期が半分以上)、普通は合併症(開腹切除の大手術が必要となる)の率が1000件やって50件もありまうが、私の場合は1000件中1件です。主から与えられた方法でオペをすることによって、すばらしいことが起きます。 奇跡を体験しています。 この間も、4期の方でしたが、オペを全くせず 祈りだけで妊娠しました。ハレルヤです。 (前回日本に来たとき)岡山の方にも祈って、この間妊娠されたと聞きました。 本当に神様は生きておられます。 今も生きておられ、癒しておられ、その同じ神様が 今 ここにおられます。

  私は3年前から日本に遣わされて、その日はちょうど 3月11日の 東日本大震災の時でした。 そして過去3年間日本霊の戦いをして、去年(2013年)の5月(12日)に霊の戦いが全部終わったのです。(* (筆者注) 「日本の強い者」については、逃げていたのはG県ではなくO県だったので、2014年1月15日に追い出され、バキューム状態になった。)
  私は、主が行けと言われると、患者さんを全部キャンセルして行くのです。 20回くらい日本に来たので、医療がめちゃめちゃになって、一回につき2週間くらいいなくなるので日本に来ることが大変でしたが、それが全部終わって本当に喜んでいたら、聖霊様がまた語りかけてこられて、天のお父様は 本当によく霊の戦いをしてくれたと喜んでいます、天で今 宴会が開かれていますよ、天のお父様はあなたをもっと信頼していますよ。 そこまで聞くと、私の思いの中ではもう日本に行きたくない、と思いました。あまりにも行ったり来たり、行ったり来たり、ニューヨークから通勤するような感じで、時差ぼけで疲れるし、ニューヨークに帰っても難しい手術が待っていますし、患者さんからも怒られるし、私としては私自身の本業である クリスチャン・ドクターの仕事に専念したい、その気持ちでいっぱいだったのです。



   (主の御声に聞くことの聖書的な意味)

  しかし、聖霊様から、天のお父様からあなたに新しい仕事(IMM)が来ました、と言われました。 それは、大きな変革であり、受け入れる人には天からの油注ぎが与えられ、皆さんの心の中から変わっていくものもで、皆さんの霊の中にある神の国を生み出すようになる、そして、神様と語りかけられる人生、神様と関係を持つ人生が開かれる、と言われました。 それが日本のキリスト者一人一人に入って行って、よみがえり起きることによって、これが今日のトピックですが、主が言われたのは、私たちが皆寝ている、というのですね。 皆 寝ていると言われています。
  何が寝ている定義かというと、

  エレミヤ7:23 「 ただわたしはこの戒めを彼らに与えて言った、『わたしの声に聞きなさい。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。わたしがあなたがたに命じるすべてのを歩んで幸を得なさい』と。」
  * 注) שִׁמְעוּ (シメウー、複男・祈使) あなたがたは聞きなさい、   בְקוֹלִי (ベ コーリー、単男・1単尾) 私の声に    ・・・  従う(obey)とは書いていない

  神様は皆さんの犠牲を求めておられません。 「私の声に聞きなさい。」 これが主の戒めです。 人の声や あなた方自身の声ではありません、主の声です。 そうすれば主はあなたがたの神となり、あなたがたは主の民となります。天のお父様が私たちの父となり、私たちが天のお父様の子供となります。 これは関係です。 生ける関係です。 キリスト教は論理ではありません。理論でもありません。 もちろん神学はあります。教理はあります。 でも本当のキリスト教はそれ以上のものです。リレーションシップです。 生ける神と関係を持つのが キリスト教です。
  父なる神と関係を結ぶために、イエス様は来られました。 十字架で贖われました。なぜなら、私たちを贖い、天の父なる神との深い関係に入るのが、目的なのです。それ以下に私たちが収まると 神様は喜ばれません。「神の道」です。
  しかしイスラエルの民は失敗しました。 だから私たちは耳を傾けなければいけません。自分の悪い心のはかりごとと(自分の道)、強情に従って歩み、 だからこれが正反対です。 「道」が間違っていました。 主の道を発見することです。
  エレミヤ3:19 「 どのようにして、あなたをわたしの子どもたちのうちに置き、万国のうちで最も美しい嗣業である良い地をあなたに与えようかと、わたしは思っていた。わたしはまた、あなたがわたしを「わが父」と呼び、わたしに従って離れることはないと思っていた。」
  「主の道」とは、「最も麗しい良い地」です。 父なる神の愛、優しさ、御配慮です。私たちは分析することはできません。神様ははるかに大きな方だからです。 だから私たちは本当に幼子のようになったときに、みことばを そのまま受け止めることができる。自分の頭で分析しなくなります。そのとき みことばの種が入ってきます。

  ルカ17:20-21 「パリサイ人が、神の国はどのような形で来るのか。 イエス様は、そこにある、ここにある という形ではなく、」  場所や特定の人ではありません。 「見よ。(あなたがたは注意を払いなさい) 神の国はあなたがたのただ中にあります。」
  聖霊によって生まれ変わったら、神の国は皆さんの中に出来上がります。 神を見出すには、私たちの中にある神を見出すのです。どこででも神様を見出すことができます。日曜日に教会に行くまで待つ必要はありません。毎日神様を見出してください。 神様は、私を探しなさい、私の顔を尋ね求めなさい、と言われています。真剣に、注意を払って、全身全霊をもって神を探す人は、私と出会うであろう、と書いてあります。

  詩編46:10 「静まって(=努力をやめなさい)、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる。」

  この「静まって」とは、「(人間的な)努力をやめなさい」という意味です。 人間的に汗をかいて、悪戦苦闘し、計画するのをやめなさい。そういう肉の行いをストップし、解き放ち、明け渡し、自分の手に握りしめているものを離しなさい、そしてその次の意味は、主の前に来るときは、リラックスしなさいです。 それが「静まる」という意味です。それによって、私たちは 神がどなたであるかを知ることになります。

  * 注) マソラ詩編46:11 הַרְפּוּ וּדְעוּ, כִּי-אָנֹכִי אֱלֹהִים
רָפָה ラーファー feeble, fail, weaken  >  הַרְפּוּ ハレプー(Hiphil態(使役)、祈使・複・男) let drop, abandon(捨てる), relax(リラックスする)

  聖霊様の声は、私にとっては、大声や、どなる声ではなく、普通は、「細い声」です。 あるときはビジョンや幻で、あるときは肩をポンポンとたたかれるくらいの感じできます。 だから、私たちは やっていることが忙しく、日常生活が忙しく、自分の思いでいっぱいに満たされていて、こうしようああしよう、この次の計画はこうで、とやっている段階では、聖霊様は語りかけていますが、あまりにも雑音と騒音が大きくて、その御声を私たちは聞き取ることができません。



   (日本人クリスチャンへの質問状)

  ニューヨークにいるとき、聖霊様は多くの質問状を下さいましたが、これは主からの(大会に来る)日本人クリスチャンへの問いかけです。 正直に、自分が今どこにいるのか、どのような状況であるのかを 見出すことができる手掛かりになると思います。

  1. 皆さんは、この世にいる目的がなんであるかご存知ですか? 自分が存在する目的です。

  2. 皆さんは、本当に幸せですか?

  3. 何かが失われている、何かが欠けていると思いませんか?

  4. 皆さんの人生で、神様のご計画がなんであるかわかりますか? (皆さんの計画ではありません)

  5. 神様のご計画と御栄光を、受け取ることを妨げているものがなんであるかわかりますか?

  6. 神様が用意されたすばらしい機会が過去にありましたが、どうしてそれを選ばないで離れてしまいましたか?(一部の人にですが。)

  7. 自分勝手に行ってうまくいなかった場合、主のせいにして、主を非難していませんか?

  8. どうしてそんなに急いでいるのですか?どうして皆さんは、主を待ち望まないのですか?

  9. どうして皆さんは、聖霊様よりも先に動こうとするのですか?

  10. どこから逃げようとするのですか?何を恐れていますか?なぜ問題点や現実を直面することを恐れているのですか?

  11. 皆さんは主の前で 眠っていますか?起きていますか?(ほとんどの方は眠っています。)

  12. どうして皆さんは、パニックに陥りますか?混乱しますか?(本当に主と共に歩むならば混乱しません。)

  13. 皆さんは主に求めて、はっきりした答えを聞いたことがありますか。

  14. 人生で、与えられたものではないのに、空想とファンタジーの中でそれを追い求めて、これが自分のものでなければならないがごとく、一生懸命それを強制して得ようとしたことがありますか?(自分が得るものでもないのに、それを目的として求めて、時間を無駄にすること。)


  結構厳しい主からの問いかけですが、神様は、皆さんに今まで何度も 機会を与えているはずなのです。 主は訪ねてこられました。心のドアをノックされました。「わたしです。わたしです。 あなたと交わりたい。あなたと共に居たい。あなたと共に会話をしたい。 今、戸を開けてください。」 でも、それが来たにもかかわらず、私たちは寝ていた、起きなかった。 そうすると主は1分2分と待たれると思います。 それでも私たちが反応しないと、主は「ジェントルマン」です。 イエス様は紳士です。 聖霊様も、ジェントルマンです。 だから私たちが本当に反応しないと、何回かは来られますが、そのあとで悲しく思われて、去っていかれます。 そうすると私たちは関係がなくなってしまいますね。 私たちは日曜日に教会に行きます。賛美を歌います。聖書を読みます。メッセージも聞きます。 でも皆さんは、関係がありますか?毎日の主との関係。主を個人的に知っておられますか? これだけ機会を与えたのだけれども、どうして起きなかったのですか、と言われるのです。
  聖霊様が言われているのですが、わたしと一緒に居なさい、わたしと時を過ごしなさい、そして他の人に聞くのではなく、わたしに聞きなさい。わたしが生ける神である、わたしがあなたの中にいる、わたしを無視しないでください。

  ヨハネ16:13 「けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」

  聖霊様は、人格がある、真理の御霊です。 すべての真理を知っておられます。 すべての真理に向けて、導かれます。 だから、ほんの一部の真理ではなく、聖霊様が来られる時には、すべての真理に導いておられます。 そして彼は、自らを語るのではなく、天国で聞いたままを語り、告げます。
  私たちの内におられる聖霊様との友達関係を作ってください。 今からでも遅くありません。 だから主は、このようなミーティングを開きなさいと言われているのです。 今 目を覚まし、聖霊様との友達関係です。私たちに問題があるときだけ、主に聞くような関係ではなく、本当に毎日毎日、瞬間瞬間、聖霊様との深い関係を持ってください。



   (不義の悔い改め)

  まず第一に、悔い改めなさい(repent)、悔い改めが まず第一のスタートです。 使徒行伝で、ペテロが、世の終わりの イエス様が来られる前に、起きる事柄について、4つのステップがあると書いています。そのまず第一が悔い改めです。
  悔い改めた後で、主の慰め(refreshment)の時が来ます。癒しの時です。
  そして もう一度スタートする(restore 返還、restart)。今まで失われたものが戻り、もう一度復活され、復興され、そして作り直され(regenerate 再生)、もう一度火がつけられます(reignite)。

  私たちが目が覚めると、今まで大切に思ったことが大切でなくなり、新しいプライオリティー(優先するもの)が私たちの思いに入ってきます。 何が大切か大切でないか、目が見えてきます
  そして リバイバル、私たちがリバイブします。 再びよみがえる、生きる。 わら師たちが変革され、教会が変革され、これらのことが起こってくると、最後のREは何ですか?
  リターンです。 リターン・オブ・キング。 イエスキリストが、戻って来られます。 アーメン。

  だから私たちは、最後に行く所の隣まで来ていますね。本当にイエス様は来られます。 皆さんが思っていたよりもはるかに早く来られます。私たちは待ち望みましょう。熱烈な思いで、イエス様が来られる準備をしましょう。 イエス様が来られるから、私たちはもっともっと、きよくなければいけない。悔い改めなければならない。自分の道を放棄しなければならない。 自分自身を否定し、自分の十字架を背負って イエス・キリストに従ってきなさい、とあります。 イエス様は間もなく来られます。 日本に来られます。 また、全世界に、エルサレムに戻って来られます。
  これらは全部、悔い改めからスタートです。


  イザヤ53:6 「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。」

  3、4節から、イエス様は神にたたかれ、傷つけられたのは、私たちの咎のためです。その時の鞭は、普通の鞭ではなく、先に牙のような歯がついていて、一回鞭打たれるごとに肉が裂けます。 それをイエス様は自ら、皆さんを贖うために 背中を差し出されました。 主の愛です。
  イエス様の打たれた傷によって、私たちは癒されました。 そして、イエス様の十字架の血潮によって、私たちは贖われました。 イエス様が打たれた傷は、皆さんを癒すだけではなく、日本国を癒します。 いま日本は癒しが必要です。国全体が癒しが必要です。 イエス様は日本人を贖います。
  そして6節、おのおの自分の道に向かっていった、これが私たちの姿なのです。 聖書が言う、「不義(inquity、不公平、不正、不法)」の定義は何ですか? ”自分の道に行くこと”、が不義なのです。
  だからどうして神様は、皆 悔い改めよ、と言っていますか? 皆さんはこう言うでしょう。 私は良いクリスチャンです。日曜日には教会に行きます。お金を盗んだことはありません。うそをついたこともありません。人殺し、姦淫もしません、 どうして悔い改めなければいけないのですか、と言うかもしれません。 でも、神の目から見て、「不義」は何ですか?
  もし私たちが、神が生きておられるにもかかわらず、その神を無視した生活をし、自分で計画を立て、自分の道に進むときに、それが「不義」であると、聖書に書いてあります。 だから私たちは悔い改めなければいけません。神様に戻らなければいけません。口先で戻るのではなく、心から主に戻りましょう。 すべてが一人残らず、神の道を選ばなくて、自分の道を選んだと書いています。
  ヘブライ語で言う「悔い改め」の意味は、間違った方向へ進んでいたのが、ブレーキを踏んで、反対の方向へ進むこと。アクションを伴うことです。 放蕩息子が天の父なる神から離れて、放蕩な生活をしたけれど、急に目が覚めて、「私は父の家に戻ろう」、このようなでたらめな生活をするのは嫌になり、目が覚めました。Uターンして戻ってきました。これが悔い改めです。 また、新約聖書のギリシャ語による悔い改めは、「新しい考えを持つ」です。 新しい思いを持つことが悔い改めです。
  だから、本当に聖書的な意味での「悔い改め」は、この2つの意味を組み合わせたらわかりますね? あなたがたの考え方を改め、そして実行しなさい。行動に移しなさい。悪い道を捨て去りなさい。私の道に来なさい。わたしはあなたのための今備えてある道を、見つけなさい。 これは、できるから、神様は要求されているのです。不可能ではありません。
  多くのクリスチャンが、口先では「主よ。主よ。」と言うけれど、本当に心の底からわたしを敬っていない、と言われています。 本当に心の底から聖霊様を敬っていたら、聖霊様に聞きます自分で決めません。 なぜなら、聖霊様は、皆さんの主だからです。

  神様に明け渡してください。(release 釈放する、自由になる) 私はカトリックの大学に行っていたので、神父さんに罪を告白する、あるいは皆さんが牧師先生に罪を告白するとか、カウンセリングを受けたりすることがあると思います。 でも本当に主が求めておられるのは、「わたしに話しなさい。わたしにカウンセリングに来なさい。」です。 皆、罪があります。 それを人間であるカウンセラーや牧師に話したとしても、聖霊様が言われるには、全部を解き放っていない、ということです。自分でまだコントロールしている。自分を保身して、話すのはここまでで、あとの一番話したくない25%は 自分の心の奥に握ってコントロールしている、と。 そうすると、その人の人生が、その重荷を背負ったままで行く人生になります。 主は皆さんの心の奥底まで見ておられます。だから「わたしに全ての問題を解き放ちなさい。」と言われるのです。
  イエス様は、「誰でも重荷を背負っているものは、わたしのもとに来なさい。わたしはあなたがたに安きを与えるであろう。 わたしのくびきはやさしく、軽いのである。」、と。 イエス様のくびきは何ですか? 天のお父様の みこころを行うことです。 私たちが平安を得る道はこれだけです。人の所に行っても平安は来ません。カウンセラーの人にお金を払っても平安は来ません。やっぱり私たちは人間です。「生きた供え物」として主に明け渡しなさい。そうすれば、主はあなたの問題点をすべて聞いて、解決します。これ以上の重荷を背負って人生を進んではいけないと言われます。
  神様は皆さんをさばきません。赦されます。人に話しても勝手に皆さんをさばくでしょう。勝手に思い込んで、ラベルを付けたり、色々なことをすると思います。 100%告白するなら、99%ではだめですが、神様は皆さんをそのまま受け止められ、その時に隠し事が無いなら、接点が与えられ、神様に触れられます。 触れられたときに、ものすごい変革が起こります。 主の前に正直になり、へりくだりましょう。 悩み事も、心配事も、すべての問題も、全部 打ち明けてください。 イエス様は最高のカウンセラーです。同じ聖霊様が、私たちとともにおられます。



   (聞き取るための明け渡し)

  では、なぜ聞き取ることができないか、ですね。 この質問もよく聞くのですが、90分静まって黙想したが何も聞き取ることができませんでした、というようなものです。こういう方もいると思います。

  これも、どこから来ているかと言うと、私たちが本当に明け渡していないからですね。 聞き取るということも、一つの 自分のコントロールとして捉えてしまっているからです。 90分の黙想に入って聞き耳を立てます。でも、その段階では、神様とのフェローシップに入っていない。聞き取ることを、”仕事”のように考えている、自分のノルマのように考えている、この人は聞き取っているから私も聞き取りたい。 私たちは、神様と 一対一の関係の世界です。 本当に明け渡した人は、「聞き取ること」を考えません。「交わること」を考えます。 この違いは、”聞き取りごっこ”と 「交わり」との違いです。 明け渡してすぐスタートするのが、神様との生きた交わりなのです。学問でもなく、神学でもなく、教理でもなく、目の前にいる神様と対面する時が与えられます。 このように、自然体で、私たちが神様と交わるようになると、全く聞き取れなくても関係ありません、無言の交わりもあります、主を待ち望む交わりもこれです。 主は主です。わかりますか?皆さんが主ではありません。私たちは人間ですね? 「主」は一人だけです。 だから、神様は、いつ 皆さんに語りかけるか、いつ黙っているか、どれだけ皆さんが待たなければならないか、全部プログラムの中でご存知です。 だから私たちは性急になる必要はありません。パニックになる必要もありません。主が語りかけるときまで待つことができます。 愛と 信頼の関係の中で。 それが「交わり」です。


  箴言8:34 「幸いなことよ。 日々、わたしの戸口の傍らで見張り、わたしの戸口の柱の脇で見守って、わたしの言うことを聞く人は。」
  日々、聞いて、目を覚まして、待つ人。 この3つの条件です。 このような人に、神様はご自身を表されます。 怠ける人ではありません。人間の肉的に努力をしなさいと言っているのではありません。神様を真実に求めるものは、主に出会います。二心があって神様を求めることはできません。100%の心をもって神様に注ぎ出してください。門が開かれます。

  皆さんをコントロールして、こうしなさい、ああしなさい、という団体ではありません。 主に聞いてください。 簡単です。シンプルです。 でも問題は実行していないことです。 99%のクリスチャンは、聞いていません。自分で決めます。友達に聞きます。先生に聞きます。周りの意見に聞きます。 周りがそうやっているから正しい道だと勝手に決めつけて、前に進んで、人生を破壊してしまいます。 それを主が嘆かれているのです。それが”眠っている”意味なのです。自分の道に歩んでいる人が、眠っていると。 なぜなら私たちの道は、間違った道だからです。自分で自分を騙しているのです。
  でも本当に目が覚めた人は、自分の道を捨てて、神の道を見出すのです。

  「狭き門から入りなさい。」 神の門は広くありません。誰でも見出すものではありません。「見出す者は少ない。」と、イエス様は言われました。狭い道なので、歩みが難しい、ほんの少し脇にそれると道から外れてしまいます。 しかし広い道は多くの人が行き、滅びに至る道になります。最終的な場所は いのちではありません。滅びです。
  狭い道は、皆さんに見出してほしいと神様が願っておられる道であり、また、主と共に歩む道です。



   (ファクトリー・ワーカー vs. 神の子)

  主からの三つの質問のうち、一つは、自分に聞いていながら神様のせいにして、神様を非難するクリスチャンがいる、ということです。 あとの2つ目は、”ファクトリー・ワーカー(工場で働く人)”と言われたのですね。 多くの日本のクリスチャンは、ファクトリー・ワーカーのモードで生活している。
  どういう意味か聞いたのです。 朝起きて朝食を食べて、8時の電車の乗って9時に会社に着いて、汗水たらして一生懸命働いて、夕飯に時間に家に戻って、テレビを見て、新聞を読んでで、聖書をちょっと読んで、そして寝ます。 この行ったり来たりする生活、堂々巡りの生活です。毎日毎日同じことをやっている。 何の目的もなく。 そして、日曜日になったら教会に行きます。 牧師先生に会います。賛美します。・・・ もちろん全部すばらしいですよ。でも、神様はそれ以上のことを要求しておられます。 ファクトリー・ワーカーは、お金を儲けて、お金を使って、一生懸命働いて、今日しなければならない計画をあらかじめ立てて、その計画通りに忠実に、周りから言われたとおりに忠実に、行ったり来たりしている生活です。
  神様が聞かれているのは、皆さんはファクトリー・ワーカーになりたいですか?それとも、神の子になりたいですか?

  ファクトリー・ワーカーのもう一つの定義は、「エジプト」です。 エジプトの生活です。奴隷の生活です。 人からこき使われる生活です。何の方向性もなく、何の人生の生きがいもなく、何の深い意味もなく、自分の個性がありません。 自分が生きていません。 全体のグループの中で、個性が全部打ち消されてしまいます。 ロボットのような生活です。 聖霊様は、”生けるゾンビ”と言われました。 それは神様の御心ではありません。だから眠っているというのです。
  何のためにクリスチャンになりましたか? ファクトリー・ワーカーになるためのクリスチャンですか?その目的でわたしはあなたを贖いましたか?何のためにわたしは十字架につきましたか。 あなたがこんなに低い生活をして、満足するために、わたしは血を流しましたか?これほどの苦しみの代価を払ったのではありません。 十字架にかかって死んだ目的は、あなたがたを「神の子」とするためです。

  ローマ8:14、15 「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。」

  皆さんは自分の思いや計画に導かれていますか?それとも、神の御霊に導かれていますか? 
  だからどんなに教会に来て、聖書を読んで、祈っても、もし 神の御霊に導かれていなければ、神の子ではありません。 オリジナルのギリシャ語での「神の子」とは、「マチュアー(成熟した)・サン・オブ・ゴッド」です。 私たちはイエス・キリストを信じて神の子とされます。でも、生まれたての赤ちゃんです。 だから、”赤ちゃんのレベル”で言っているのではありません。マチュアーな、成熟した、知恵のある、クリスチャン。成熟して完成したクリスチャンは、コンスタントに瞬間瞬間、御霊により導かれている、と書いてあります。 これが起きた人の定義です。

  ヨハネ7:16、17 「わたしの教えはわたしから来たのではありません。わたしを遣わされた方の教えを伝えています。 もし誰でも、神のみこころを行うことを願うならば、この教えが神からのものであることがわかります。」

  commitmentです。 マモンと神の二心では神のみこころを行うことはできません。 神のみこころを行おうとする決心をした人が、わたしの教えが神からのものであることがわかる(=知る)であろう、と言われたのです。 だから私たちは決意が必要ですね。感情ではありません。 皆さんの中には、感情によって悔い改める人がいます。今日は気分が良いから悔い改める、明日は気分が良くないから元の生活に戻る、など。そうすると結局何も変わっていません。 悔い改めは、自由意志の、意志の世界です。決断なのです。
  神のみこころを行うということ、これも決断です。 それで、私たちは神様に言います。 まず示してください、内容が良ければ決断します。 殉教が入っていたら嫌です、など。 神様は最初に決定を下した人、イエス様のように、父のみこころを行うために来て、みこころを行うことが食物です、という人です。 イエス様には目的意識があり、何のためにこの世に来られたか、偶然、ファクトリー・ワーカーで来られたのではありません。 「神の子」として来られました。目的がありました。永遠につながる目的を達成するため。 わたしの目的は、わたしを遣わされた方の みこころを100%行い、それを100%達成するために来た、とイエス様は言われました。
  私たちの人生も同じです。これ以下になってはいけません。 ファクトリー・ワーカーでなく、「神の子」です。

  ヨハネ6:38 「 わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。 」



   (サバイバル・モード vs. 神の道)

  最後のもう一つの主からの質問は、あなたは、”サバイバル・モード”にいますか、です。
  サバイバル・モードの意味は、たとえば会社が倒産してしまった、自分の自営業が悪い、病気になった、家族に問題が起きた、具体的な例で言いますと、自分の事業が悪くなって、借金をしても払いきれず、たとえば500万円の借金が出たとします。そうすると、その人が500万円の借金を払うにはどうしたら良いかをいろいろ考えて、このアルバイトの仕事を見つけよう、この仕事を見つけよう、これだけお金を儲けて、という計画を立てますね。 さらにそれよりも先に行こう。 だから、何かが起きた時に、事柄に対して 自分自身で反応して、自分勝手にリアクションして、自分の手にそれを握りしめて、コントロールして、この問題を解決したら次はどうしたらよいか、計画を次々と立てます。 これがサバイバル・モードです。
  でも、本当に 神を持っている人は、こういう道を選びません。 本当に 神様と共に歩んでいる人はどうしますか? 500万円の借金ができたら。 主に聞きます。まず第一に、主に聞きます。 なぜこれが起きたのですか? 原因はどこにありますか?何が病根ですか? だからサバイバル・モードは 対処療法にすぎません。 おなかが痛い時に病院に行って、診断が全くついていない状況で、痛みを取るだけだったら痛み止めを出してすぐ済みますね。でも痛みがなくなっても、おなかの中の病根はそのままです。 本当に私たちが目が覚めた人ならば、500万円の借金が来た時に、まず第一に 聖霊様に聞きます。主のもとに来ます。 主よこの問題が来ました、これはどういう意味ですか?どこから来ていますか?何が問題ですか?どうしたら良いですか? そして主から答えが与えられます。 だから私たちはパニックになる必要はありません。 汗を流して、格闘技するように働く必要もありません。 主と共に歩む道は「軽い荷」です。 主が重荷を背負ってくださいます。 私たちは、主が言われたとおりに、聞く道です。

  私たちは、どんなに簡単にこのサバイバル・モードに行ってしまうか。 主と共に歩んでいる と言いながら、いざ何かが起きたら、人間だから、反応してしまって、これを解決するためにはどうしたら良いかなと、問題自身を自分のほうへ戻してしまいがちです。 聖霊様は言われました。 あなたがサバイバル。モードの入ったならば、その瞬間に、神の道から外れてしまいます。 これは 非常に敏感な道です。 常に、私たちの心を見守らなくてはいけません。 なぜならいのちの泉は 私たちの心の中から湧き上がるからです。主にフォーカスを当てなければならないのです。
  一生懸命働くことによって、一生懸命計画を立てることによって、解決方法を考え出すことによって、友達に聞くことによって、カウンセラーや牧師に聞くことによって、いろいろな人間的な手段です。
  でも聖霊様はこう言われます。 「わたしに聞きなさい。わたしが全能の神である。わたしはあなたの中にいる。 神の国はあなたの中にある。 どうして、外に行くのか? わたしがいるのに、どうしてわたしを無視するのか? わたしを無視する生活をやめなさい。 起き上がりなさい。 そうしたら、わたしはあなたに 隠されたことを告げます。 新しいことを告げます。 解決方法を告げます。」 問題のある時に、神様は、問題の解決方法をすべてご存知です。 問題が来ることも神様は知っています。 だから、はるかに簡単な道です。楽しい道です。喜びがあります。 神様と歩む道は、本当に喜びの道です。 重荷が取れるのですね。 軽い流れの中で、本当に 油注ぎの流れの中で。
  それで、もう一つの喜びは、無駄な人生を歩んでいないという確信です。なぜならば、主のみこころを行っているから。だから、ヨハネの手紙にありますが、「神のみこころを行う者は永遠に永らえる。」とあります。 この世は過ぎ去る。 この世の、地位や、名誉や、お金も過ぎ去る。 しかし、神のみこころを行う者は永遠に永らえる。 永遠の存在になります。それほど、永遠につながるのです。 私たちはただの人間ですよ。小さい人間です。 しかし、私たちが神と一致し、私たちの人生の目的が神と一致し、神のみこころを行うようになると、私たち自身が 永遠に永らえる存在となる、それほど貴重なのです。
  サバイバル・モードの反対が、神の道です。 サバイバル・モードは人間の道、”地の道”、神の道は「天の道」です。

  イザヤ55:8、9 「わたしの道は、あなたがたの道とは異なっている。 天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高い。」

  天と地の差があります。 両方ともとることはできません。 神様が天の道で、私が地の道、どうやって二人が一緒に歩くことができるでしょうか。 神様が皆さんに要求しておられるのは、一人で歩け、ということではありません。 わたしと共に歩みなさい。

  ミカ6:8 「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」

  だから プライドのある人、高慢な人、自分ができると思っている人、 サバイバル・モードの人は歩くことができません。なぜ私たちはサバイバル・モードに行きますか? 私たちができると思うからですね。私たち自身で解決できると思う。 神様と共に歩むこと、これが神様が第一に求めておられることです。 天と地は大きく離れています。 主は言われました。「主なる私は変わることはない。」 わたしは地にいますから、神様、地まで下ってきてください、あなたの道を変えて私の道に来てください、そういうことはありません。
  神と共に歩む唯一の方法は、私たちが悔い改めることです。悔い改めて、私たちの人間中心的な道を捨てましょう。 自分のやり方を捨てましょう。 自分の分析を捨てましょう。 自分の小さい考え方の枠を捨てましょう。 私たちが捨てた時に、”空(くう)”になるのではありません。 仏教と キリスト教との違いがここにありますね。 仏教でも、自分を無にして、捨てます。そこまでは似ています。で、無になります。でも、無で終わりです。 でもキリスト教は、私たちが自分の道を捨てた時に、イエス様の道が 代わりに入ってくる。 いのちが入ってくる。 肉の法則から いのちの御霊の法則。 だから、私たちが 律法を行うことによって、だれも「義」にはなりません。 また、だれも律法を行うことができない、と書いてあります。 私たちが律法を行う道を選ぶなら、それがサバイバル・モードです。律法を行う道を選んだなら、何ができますか?「不義」になります。 イザヤ53章の「不義」、自分の道を 自分で努力して、自分で達成する道。でも聖書は、違います。

  ローマ8:2 「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」
  ローマ8:4 「これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。」

  「あなたがたが、もし、神の御霊によって歩むならば」、新しい法則、いのちの御霊の法則が入ってくる。 サバイバル・モードから、ぜひ皆さん、解放されてください。
  サバイバル・モードは、これは簡単に入れる道です。 誰でも入れます。 でもサバイバル・モードは滅びの道です。騙されています。人生を無駄に使っています。 なぜならば寝ているから。 寝ているということは、人生を無駄に使っているということもわからないのですね。 神様は、荒野で40年間 堂々巡りをするときも、約束のカナンの地があります。 私たちには目的があります。 カナンの地に行きましょう。荒野を卒業しましょう。 ファクトリー・ワーカーにもならないでください。 サバイバル・モードを捨ててください。 起きてください。
  そして、反応しないで、アクションですね。 リアクションとアクションは違います。 アクションは、主に聞いて、へりくだって 主の御意見を聞いて、周りの人の意見には聞かず、私自身の意見にも聞かず、あなたの意見、あなたの答えだけを聞きます。 あなたはどう言われますか。 これが神の人、サバイバル・モードでない人の人生です。



   (シークェンス(順序))

  幾つかのシークェンス(順序)を話します。
  まず第一に、起きてください。 強制できません。皆さん一人一人が、自分の自由意思ですることです。目を覚まさせるために、このメッセージがあります。

  起きた後で、主に触れてください。 神様だけに行ってください。わたしはただの人間です。 主ご自身に行って、神様に触れられ、皆様自身を主に明け渡してください。 悩み事があったら、全部話してください。 友達のごとく話してください。 何も、主はさばかれません。 皆さんを赦します。 皆様をはぐくまれます。皆様を愛します。 そして、皆さんに、新しい人生を与えたいのです。

  次に、交わりが起きます。 明け渡さないと交わりはありません。明け渡した後で、神様との 一対一の水入らずの交わり、裸の交わりになります。 なぜなら、私たちの秘密を隠していないから。
  神様は皆さんの秘密を全部知っていますよ。生まれてから今までやったこと全部も。 全部書いてあります。本に。本当ですよ。 こういう悪口を言ったこと、こういう罪を犯したことなど、事細かく 御使いが全部書いています。タイプを打ってあります。天国で。 だからイエス様が言われたのが、あなたがたが無益な言葉、ゴシップとか、アイドルな言葉と書いてありますね、それらに対して すべて言い開きをしなければならない。 だから私たちは、口を閉ざさないといけないですね。悪口を言ってはいけません。人を非難してはいけません。 本当に人を非難できる方は、主だけです。私たちは、裁判官になる役目は与えられていません。 裁判官は 主です。 このように、私は一回、ビジョンで見せられたのですが、怖いのですね、天国は。 隠れる場所がありません。 人生は映画のごとく記録されています。すべてが。 でも、でもですよ、これが福音ですね。 皆さんが天国に行く前に、今 生きているときに、罪を告白し、人に告白しないでください。もちろん牧師先生に告白しても良いと思います。でも、100%、神様に告白すること。 神様、私はこのような状況で罪を犯しました。何も隠さずに。 そうすると、その告白した罪が 消されます。 これは本当に大切です。
  もし私たちが、主との一対一の関係が全く無くて、ただ”宗教”だけを持っているクリスチャン、日曜日に教会に行くだけのクリスチャン、賛美歌を歌って、・・ それは全部すばらしいですよ。 でも、それがあるからといって、神様との関係があるというギャランティー(保証)ではありません。何のギャランティーでもありません。もし関係がなければそれは ゼロです。 だから主は言われました。「わたしに向かって、主よ、主よ、と言う者が神の国に入るのではありません。」 さらに、「この時彼らはこう言うでしょう。」と書いてあります。 「主よ。私はあなたのために一生懸命働いたではありませんか。 悪霊を追い出したではないですか。病人を癒して、死人をよみがえらせたではないですか。」 そうしたら、イエス様は何と言われましたか? 「わたしはあなたを知らない。」 怖いですよ。 「あなたを知らない。誰ですか?」 次に、「出て行け」と言われました。天国に入れません。 だから皆さん、教会に行ったからといって天国に入れると 勘違いしないでください。
  本当に真理は大切です。何が聖書に書いてあるか。 関係なのです。 神様との関係。 イエス様があなたにノックして、何度もノックしても私たちが怠けてしまい、眠ってしまい、臆病になって、イエス様を受け入れなければ、20年もの間全く家に入れてもらえなくて、急に私たちがイエス様の家に行くときに、ノックして私を入れてくださいと言っても、「あなたは誰ですか。知りません。」 そういうことになってしまうのですね。 だから本当に今です。 「今が、恵みの時」。私たちはまだ生きています。いのちがなくなったら、もう遅いです。天国で言い開きをしなければなりません。 だから、本当に、今、神様に向かいましょう。 遅くありません。 若い人にとっても、ご老人の方にとっても。 若い人は人生に時間が与えられているので、もっともっと交わることができますね。 私は、自分の時間を惜しんで、交わりをしています。なぜなら、時間が非常に限られているからです。 あまりにも、主のためにしなければならない仕事がたくさんあるから。 怠ける時間がありません。
  黙示録には地獄に行く人たちのいくつかの例が書いてありますね。 まず第一に地獄に行く人たちの内容を知っていますか? 「臆病な人」です。 だから臆病にならないでください。 主に対して熱心になってください。目を覚ましてください。 そして、神様を見出しましょう。 失われた関係。 ・・・ 「初めの愛」に戻ってください。 イエス様は「愛」です。 イエス様は皆さんを愛したい。 皆さんを はぐくみたい。皆さんに癒しを与えたい。 すばらしい、生きた人生を与えたい。 そして、エジプトの奴隷のファクトリー・ワーカーから、皆さんを解放したい。 ゾンビから解放したい。 生きてもらいたい。 皆さんには個性があります。 一人一人非常に貴重なのです。 皆さん一人にしかできない仕事がたくさんあるのです。 他の人ができなくて、皆さんの一人がしないと永遠に影響のある仕事があります。 しかし私たちが寝ていて、何の仕事ができますか?

  * 注) 黙示録21:8 「しかし、おくびょうな者( δειλοις、デイロス、timid, fearful、小心な)、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。」


  神と共に歩む流れ、それが実行できるようになると、次に、聖霊様が皆さんを訓練されます。 聖霊様の学校に入り、私たちが「謙遜」を教えられます。 「謙遜」の道、また 「忍耐」の道、「鍛錬」の道、また「主を恐れる」道、そして、セルフコントロール、「自制」の道です。 主につながることによって、これらの実を結ぶようになります。 「実」は、私たちの努力によって結ぶのではありません。 私たちが、イエス様と手をつないで 一緒に歩く、ユニオンですね、一体化することによって 私たちはこれらの実を結ぶようになります。



   (日本の革命・・・目を覚ますこと)

  シンプルかつパワフルな組織です。メンバーシップも会費の要求もありません。 皆さんに目を覚まさせるために、遣わされてきました。
  私にとって、ニューヨークで医者をやっているほうがはるかに楽ですし、こんなに妨害と迫害を受けないし、でも あらかじめ示されていたので、別に驚いていません。 目標だけを見て前に進み、成し遂げなさい、と言われました。
  そしてこう言われました。 変革をもたらしなさい。 日本にこれから革命があります。霊的な革命です。 目が覚める革命です。 眠っている人が、起き上がる、革命です。 起き上がるだけでも、革命になります。 私たちが目が覚めると、私たちは騙されません。 眠っている人のもう一つの定義が、騙されている人です。 惑わしに騙されている、しきたりに騙されている、グループに騙されている、でも 皆さんがある強力なグループの一団に入っていたからといって、天国に行ったときに、このグループに入っていたからこのグループの一番上の人を呼んでください、と言えますか?証人として。 皆さんのさばきは一対一です。 その主に、私たちは言い開きをしなければいけません。 だから、今から関係を作りましょう。 あなたを知らない、と言われないようにしてください。 御国にようこそ、と言われましょう。
  なぜパワフルかというと、皆さんの自由意思で起き上がるからです。 わたしはただ、呼び起こしのメッセージをしているだけです。 皆さん自身が、人生のオーナーシップを持ってください。周りの責任にしないでください。 このグループに入っているから自分は安全だとか、この教会に行っているから安全だなどと、そんなレベルではありません。 人生は、主の前に皆さん自身の責任があります。 良い意味で皆さん自身のオーナーシップを自分の手に戻して、神様の前で責任を果たしてください。 コントロールを明け渡し、崇拝している「偶像」を ことごとく取り除いてください。神様は偶像と共に居ません。 皆さんの偶像礼拝は何ですか? 自分ですか?お金ですか? 成功ですか?有名になることですか? 教派・教団が偶像礼拝になるかもしれません。 牧師先生も偶像礼拝になるかもしれません。 ・・・ なぜなら、神様だけです。崇拝できるお方は、神様だけです。 それ以外の何もありません。 だから私たちは、偶像を破壊しましょう。 私たちの心の中から取り除きましょう。 「高き所」をことごとく取り除きましょう。 イスラエルの歴史を読んでいると、ヒゼキヤ王と ダビデと もう一人の王だけが、「高き所」を取り除いたと書いてあります。 でも他の、主を信じ、リバイバルをした王様でさえも、ほとんどの王様は 高き所の偶像を取り除きませんでした。
  今の「高き所」は何ですか? 私たちの心の中にありますね。 心の中に、主よりも敬うもの、主よりも大切にしているものがあれば、それが キリスト教の名のものであっても、偶像です。 祈ったら聖霊様が示されます。聖霊様は光ですから。 それが示されたら、ことごとく破壊してください。 容赦しないでください。 徹底して、偶像を皆殺しにしてください。 皆さんは自由になります。
  私も霊の戦いで、四国は本当に、懐かしいところで、・・・。(石鎚山、剣山) とりなしの祈りのために行きました。 目に見える形で、日本には高き所がありますが、本当に主は それらをクリーンナップされています。 だから、皆さんの心の中の偶像ですね。 それを神様が対処しなさい、と言われています。

  起きているという意味は、私たちが状況から逃げないで、多くのクリスチャンは自分自身から逃げている、と聖霊様は言われます。 自分に対して正直ではない、何か問題があると、そこにカーペットを置いて隠している。 隠していますが、実際はそのカーペットの中に問題があります。 状況に対して直面できる人が 起きている人です。 眠っている人は全部隠そうとしますね。 起きている人が神様と共に交わることができます。 眠っている人が神様と交わることはできません。
  サバイバル・モードもできません。 サバイバル・モードになった途端に、神様との交わりが途絶えます。 神様との交わりと両立できません。 もしそのような人がいれば、自分自身を偽っているだけです。


  まとめると、起きて、神様に触れられて、自分自身を明け渡して、主の御声を聞いて、交わりを持って、交わりを持った後で 神様と手をつなぐことができます。 そして手をつないで、毎日、細い道を一緒に歩むことができます。 これが神と共に歩む道です。

  イザヤ48:17、18 「あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。
  (主が嘆願して、) どうか、あなたはわたしの戒めに聞き(従う)ように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたのは海の波のようになり、 」

  神様はあなたにとって、何が一番大切なものか、わかっています。 自分で分かる以上に、何が一番益になるか。 この教えは誰から来ますか?神学校から来るのではありません。 教派・教団から来るのではありません。 この教えは、神様から直接的に来ます。 主ご自身が、皆さんの家庭教師になられます。 それが、聖霊様の学校です。 そうでないと、これほどの深い真理、ものすごく深い真理を話していますが、歩み始めたら 皆さんの人生が大いに変わります。 1日でもこれを実行したら。 それほどダイナマイトのような力が隠されている真理なのです。 これを分からせていただくお方は、聖霊様しかありません。 人間的に理解できる世界ではありません。 でも聖霊様が来られると、皆さんの目が開かれ、どのようにしてこの道を見出し、どのようにして主と共に歩むことができるか、教えられます。
  これは皆さん一人一人が「行くべき道」なのです。 すでに定められている道です。 皆さんが生まれる前からです。偶然ではありません。 いのちの書に、永遠の昔から書かれています。 天国に行って調べて見てください。
  そして、なんと、主が皆さんに嘆願( לוּא、ルー、 if、if only、would that)しておられます。 「聞く」ことを。

  * 注) わたしの命令を לְמִצְוֹתָי (מִצְוָה、ミツヴァー)   あなたは傾聴する הִקְשַׁבְתָּ (קָשַׁב、カーシャヴ、注意して聞く、耳を傾ける) (・ 「従う」のニュアンスはない)

  そうすれば、平安は川のように流れて来て、私たちの「義」は、海の波のようになります。 私たちは「義人」となります。 なぜなら「不義」の定義は、自分の道、サバイバル・モードに行くことだからです。(イザヤ53) 義は何ですか? 漢字では、我の上に羊ですね。 だから、イエス様の下に自分があると、義です。 イエス様のもとに身を置くと、私たちは正しい位置関係になる、上下関係が。 イエス様から一歩でも外に出て、自分でコントロールし、自分の人生を計画し、サバイバル・モードに入り、ファクトリー・ワーカーになる、 ・・・ これが不義です。

  皆さんは目が覚めて、これからは簡単には騙されません。 正しい道を選ぶことができるようになります。





   § 金山師の状況と弁明:

  2015年6月、キリスト教界内部からの告発により、いわゆる”神社等への油まき事件(→時事2015の3.)”の容疑者とされてしまいました。 これは、「霊の戦い」で 本来ごく少量 香油を用いる程度(一滴くらいのエッセンシャルオイル これが”油まき”か?、機械油やオリーブ油そのものではない)のことで、犯罪性は無いはずが、大きく報道され、なんと旅券返納命令(2015 9月10日、千葉県警→外務省)という、ありえないような厳しい処分が下されました。
  金山師は、このアタックをあらかじめ示されてたと言いますが、彼の医師としての実績から米国の永住権があるため 問題なくニューヨークで医師を続けることができ、かえって負担が少なくなった、という結果になりました。 ニューヨークでは、通常の治療と共に、主の霊による癒しも頻繁に行われています。 日本には、時効まで帰国はできないでしょうが、「日本の強い者の追い出し」という、神の大きな仕事を成し遂げた功績は大きいものがあります。

  金山師(使徒*)のメッセージがよく吟味しても良い上に、ネットワークの霊の見分けの賜物(*)の人による見分けでは、3年前も今も 相変わらず 〇 です。 しかし、彼が人を見分ける力は弱いと思われ、組織の中に霊的に悪い人2人を入れてしまいました。(中にいる人2人 ×、 金山師を批判する批判者 ××、 金山師を当局に告発した牧師×(告発はサタンがすることです)、 金山師の姉(×)の弁護士×、 当初金山師を受け入れていたフルゴスペル福岡教会も この弁護士のほうを信用して 金山師の受け入れを拒否)
  また彼が”預言者”とみなしているサブリーナ姉妹は 「とりなし者」です。 また、半分在日で朝鮮系のDNAのうちラテン系が入っているようで、少し 協調性が低いのも失敗の原因だったかと思われます(韓国の教会は独立心が強く、ヨイド以外は小さく、乱立している)。 (筆者が知っている、本当の)預言者の言うことに聞く耳を持たなかったこと、五役者(五職)の関係を構築してから慎重にスタートすべきだった、など、いくつか思い当たるところがあります。

  またいずれ、五役者(+見分け手)がそろった時点で、使徒として金山師が再び用いられる時が来ることを、待ち望んでいます。(「召しと 賜物は 変わることがない。」)


   * 見分けの賜物は、たとえば人の顔にそっくりに似せたCG画像では分からず、写真ならば19世紀のものでもすぐ分かる、という御霊の賜物です。 顔写真でも、同じ人の目の部分だけを 別の日に見てもらっても、同じ確度で見分けられます。 政治のことがまだよくわからない学生なので、政治家や有名人などの実績を見て、知性ではなく純粋に聖霊様によって見分けていることがわかります。 だから今の所、写真あるいは実物による 霊的良し悪しとその程度についての見分けでは、100%に近い確度です。 また、死んだ人については、その見分けが固定されているので、天国へ行ったか地獄へ行ったかがわかります。 生きている人は、見分けの悪い人も、悔い改めや解放などによって 良くなる余地があります。 見分け手は、にせキリスト、にせ預言者が多く現れる、特に、今の時代に必須と思われます。



  * 現代も「使徒職」が存在すること:

  ・ 御父が教会に与えた7つの奉仕(ローマ12:6-8) ・・・ 預言(prophecy、御霊の人(Ⅰコリ14:37))、奉仕(ディアコニア、ministry、礼拝・賛美奉仕、教会管理・貧者対応)、教える事(teaching)、勧め(exhortation、カウンセリング)、分与(giveth、福音宣教と貧者のために分け与える賜物(*))、指導(ruleth、采配)、慈善(sheweth mercy、助ける働き)
  御子イエス様が任命する 5つの職(五役者、五職)(エペソ4:11) ・・・ 使徒、預言者、伝道者、牧師、教師
  聖霊様が分け与える9つの御霊の賜物(Ⅰコリント12:11) ・・・ 知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力
    (* この中で「預言」だけがこの3つのカテゴリーに共通し、「預言」が神の三位一体の中心にあることを示す。 預言者は、神の啓示を時間軸に垂直に(時間に関係なく重ねて)見る。)
  したがって、現代も、教会の各奉仕や 牧師職、伝道者職、御霊の賜物の現れなどが存在するならば、「使徒職」、「預言者職」もまた、異邦人教会(ローマ、エペソ、コリントすべて異邦)の中に存在するのが自然と考えられます。

  ・ 「使徒たち、パウロとバルナバは、」(使徒14:14) とあるように、子羊の12使徒以外にも「使徒」がいました。  ただしバルナバはユダヤ人(レビ族、キプロス生まれ、「慰めの子」の意味、本名ヨセフ)
  ・ 「使徒」は(他の四役者も同様に)、按手等によらず、直接 イエス様により任命されます。 また、「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇跡と 不思議と 力あるわざです。」(Ⅱコリント12:121)  「あの大使徒たち」(Ⅱコリント12:11) = 「にせ使徒たち」 は、何も奇跡のわざを行うことができなかったのに対し、本物の使徒は 大きなしるしが伴います。 世界の”自称使徒”、”自称預言者”は、世の終わりに多く現れる「にせキリスト」であることが多い。
  ・ 五役者の「使徒」と「預言者」が、教会形成の土台となります。礎石はイエス・キリスト。(エペソ2:20)




  * みことば補足:  → 新約聖書(各論・福音書)の マタイ10:39

   「39 He that findeth his life(×)soulψυχη プシュケー、たましい、〇) shall losedestroy it:  and he that losethdestroy) his lifesoul for my sake shall find it.」(KJV、×)

   「人間的な思い(生身の人の知・情・意)を見出す者は それが壊され、 わたしのために肉の思いを破壊する者は、神の思いを見出す。」(マタイ10:39)


  ψυχη プシュケーは、「たましい」とも「いのち」とも訳せますが、ここでは(また他の多くの箇所では、)「soul、(肉的な)たましい」とすべきです。 前節の38節 「十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」は、「殉教」のことを言っているのではありません。 主に従っていく道は、自分の人間的なたましい(知性・情操・意志)を破壊して捨て去り肉の思いを十字架につけて、主の語られる言葉を「聞いて」、主について行く道であることを、正しいギリシャ語原文(Textus Receptus(1894) の訳文 )では言っています。 これは、「聖霊様に従って歩む道」で、いわゆる 「主の御声に聞く歩み」について言っています。




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